ヴィクトリア朝
- ヴィクトリア女王が治めていた1837年から1901年の期間の帝国主義時代のイギリスのこと。
- 近代工業社会への移行期であり、イギリス繁栄の時代である。鉄道が発達し、1863年にはロンドンに地下鉄が開通している。
- かつての植民地であったアメリカは既に独立しており、植民地政策ではインド・東南アジアが重視されていた。 そのインドでは、1850年代後半にイギリスへの反発が強まり、「インド大反乱」と呼ばれる大規模な抵抗運動が起きた。
東インド会社
- 17世紀初頭に設立されたヨーロッパ・アジア間貿易を担った国策企業。イギリス以外にも、オランダやフランスなどヨーロッパ各国においても設立された。
- イギリスの東インド会社は、18世紀中頃にインドの権益をめぐるフランスとの争いに勝利し、インドの植民地化を進めた。 その後、インド大反乱の責任を取る形で1874年に解散された。なお、イギリスのインド支配は第二次世界大戦後まで続いた。
ラファイエット侯爵(マーキー・ド・ラファイエット)
- 1757年生まれのフランス貴族。アメリカ独立戦争に参加し、フランスに戻ったあとに「人権宣言」の作成に携わった。
- 当時、絶対王政であったフランスを近代的な立憲君主制に変革しようとしたが、フランス革命の動乱を抑えきれずに失脚し、一時、オーストリアに亡命した。 フランスに戻った後も、歴史の表舞台からは消えたままだった。
ニコラ・テスラ
- 交流電力事業の発明者。1886年当時は30歳。
- 大学卒業後、エジソンの作った会社に入るも交流電力事業が認められず1884年に退社。1887年には自らの会社を設立した。
- 直流電力事業を推すエジソンとの確執は「電流戦争」と呼ばれた。効率性に優れているテスラの交流電力事業が勝ったが、テスラは経済的には恵まれなかった。
切り裂きジャック事件
- 1888年にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで発生した連続猟奇殺人事件。 被害者のうち娼婦5名が切り裂きジャックによるものだと確実視されている。
- 容疑者は複数挙がったが、未解決のままである。その異様さから、ホラーやファンタジーを含め、様々な創作の題材となった。
クリスタル・パレス(水晶宮)
- 1851年の第1回万国博覧会の会場として、ロンドン中心部のハイド・パークに建設されたガラス張りの建築物。ヴィクトリア朝の象徴でもある。
- 万博後に取り壊され、1854年にロンドン南部に再建された。
ジャーンシーのラニ
- 「ジャーンシーのラニ」こと「ラクシュミー・バーイー」は「インド大反乱」の指導者のひとりで、 「インドのジャンヌ・ダルク」とも呼ばれている英雄である。「ラニ」は「女王」という意味。
- 1835年以前に生まれ、1842年に藩王国「ジャーンシー」の王妃となった。 美しいだけでなく、政治・外交・軍事にも長けていたとされる。(藩王とは、イギリスによって統治権を保証された地方豪族である。当時、イギリスは藩王を通じて間接的にインドを統治していた。)
- 子どもは生まれたがすぐに病死してしまい、さらに夫である藩王も病没したため、後継者がいなかったジャーンシーはイギリスによって取り潰された。 これをきっかけにラクシュミーは反イギリス運動に身を投じた。
- 1857年のインド大反乱に乗じて、義勇兵を率いてジャーンシー城を一時奪還したが、イギリスの反攻にあい、撤退した。 その後も徹底抗戦を唱え、転戦し抵抗を続けたが、1858年に戦死した。